うつ病でアルコール依存症:人生終わった男の闘病記・体験談

閉鎖病棟の体験談から、アルコール依存症・うつ病の闘病記。
2児の父が急にうつ病で倒れた。酔いにまかせて仕事にいくも今度はアルコール依存症だと。
家族から精神病院に何回も入院させられ、断酒に挑戦するが失敗。抗うつ剤、睡眠薬はいまだかかせず・・・・・・

うつ病、アルコール依存症にならないよう、みなさんのお役にたてればと思います。

タグ:東北大震災

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(つづき)


一人で断酒をしていた消防士の訃報

独り、断酒会を離れて東北の被災地で頑張っておられたO氏。

精神的なショックで現場の悲惨な光景がどうしても忘れられなく、

PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっている」と診断されたという。
東北大震災 被災地
Yahoo!Japanネット基金サイトより引用

その後、断酒会に顔をだすことはなくなった。

忘れた頃、A氏のご家族から、1本の電話が鳴った。

訃報の知らせだった。

会長の話からなので、またぎきですが以下のようなことだったらしい。

震災のショックから立ち直れず、アルコールに手を出したO氏。

会社でシアナマイドを飲ませてくれる寛大な上司がいたのですが、異動でそれもなくなり。

結局、連続飲酒に。

会社にも出社しなくなり

そしてある日、飲酒運転にで酒を買いに。

かなり酔っていたいたらしく、コンビニの壁にかにぶつけ、警察沙汰になった。

事故 酒気帯び運転
フリーフォト写真ACより引用

ドアから降りたときは、フラフラでまっすぐ歩けない状態だった。

とうぜん免許取消、このご時勢、もちろん懲戒免職退職金なし。

50歳すぎで公務員の消防士ですから、本来はかなりの退職金があったはず。

それが全部パー。

こうなったら「飲む」しかない。

ひたすら、飲み続けたのでしょう

アルコール依存症者がたどる、最悪の道。

昨年の冬だったか、親切な近所の方が「部屋から物音がしない、何かあったのではないか」と大家さんに通報があり。

ドアをあけたそこには、こときれたO氏が横たわっていた、とのこと。

死後、数日

冬だったので気温が低く、体に損傷がなかったのがたったひとつだけの幸い。

50代後半、本当に早すぎる死。


元気なころしか知らない関係者全員が、ショックを受け、言葉も出ず。

会長と2人ほど、断酒会から通夜に出席した。

フタを開けるとそこには、以前とはまったく違う、ホオがげっそりやせ細り、目がくぼんだ別人のO氏が横たわっていた、とのことだった。


これは極端な例ですが。

ですが、ここまでいかなくても、断酒会から離れていった人達は、やはり飲酒欲求に勝てず、落ちていく人が多いように思えます。

連絡がつかない夫婦

例えば、毎週かかさず来ていたB夫婦。

ここの奥さんは、度々スリップはするものの、なんとか頑張っていました。

しかし、ある時期から、夫婦ともどもピタリと来なくなりました。

電話をしようが、メールをよこそうが、返信がありません

「連絡もしない」ということは、断酒をしていない、そうとるべきでしょう。

肝臓の数値が悪かったのですが、今やどうなっているのかわかりません。

夫婦 喧嘩
フリーフォトPAKUTASOより引用

断酒会に来なくなり、飲酒していた

また、お母さんと娘さん、という珍しい組み合わせで毎週来ていた、Tさん(娘さん40代)。

娘さんがうつ病で、しかもアルコール依存症

お母さんが心配して、うつに関していろんな情報を集め、うつのタイプも「メランコリック型(旧来の)うつ」ではなく、いま流行りの「新型うつ」ではないか、というところまで突き止めたお母さん。

しかしなかなか症状が良くならない、娘さん。

お母さんが心配に心配をかさね、手を変え品を変え、クスリを変え、もう何年になるでしょう。

いっこうに症状が改善しない娘さん。

もう、娘さんは断酒会にすらこなくなり、お母さんだけが出席するという形になりました。

かれこれ何年経ったか。

ある日、病院のカウンセリングで、とんでもないことが発覚しました。

カウンセリングでTさんが白状したところによると。


月に何回か、友達から、食事会やカラオケのお誘いがあるというのです。

そして、それには出席する。

(これが、新型うつの傾向でしょう。本来のうつですと、そんな場に出ることすらできない)

実はその時に、隠れてお酒を飲んで楽しんでいたとのこと。

カラオケ 飲酒
フリーフォト写真ACより引用

しかも、けっこう常習していたとのこと。

これはお母さんも知らない事実。

もちろん、ほかの誰も知らない。

知っているのは、カウンセラーと、ある事情で話を知ってしまったぼくだけ。

お母さんが知ったら、お母さんのほうがぶっ倒れると思います。

これが何年も続いていたと思われます。

当然、アルコールが入ればうつは改善しません。

アルコールを入れ続けながら、「うつが治らない、うつが治らない」と悩んでいたワケです。

そんなケースもありました。


こういったパターンをいくつも述べ、やはり断酒会に出席すべき、といいたいのはやまやまなのですが。

実は、ちゃんと断酒会に出席している人が・・・・・・ありゃ、実は飲んでたの?

なんてケースもあります。

(つづく)

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次記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?断酒会に来ても酒を飲む人は飲む(6)

前記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?一人で飲みすぎたら生活はどうなる?(3)


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前回まで、アルコールの

3.~5.身体に関して

6.~8.生活に関して


影響について、おおざっぱに述べました。

で、「断酒会へ通うべきか」の本題へ戻ります。

アルコール依存症の小さな断酒会でも、断酒成功者は多数


ぼくが通ってる断酒会は、ふたば会ではなく、AAでもなく、地方ローカルな断酒会です。

ちいさな断酒会で、平均するとだいたい15名くらいが出席されてます。

歌を歌うわけでなく、本を読むこともなく、しかも雑談が多い、というワリとくだけた断酒会です。
断酒会
フリー素材いらすとやより引用

そのうち、完全断酒の方(期間的に、すくなくとも3年以上、ということにします)

完全断酒の方は、5、6名ほどいらっしゃいます。

20年選手が1名。

もうたまにしか来ないです。

10年が2名

断酒をはじめて一回も失敗することなく、入院することもなく10年目に突入された方あり。

しかも、酒とタバコを同時に止めたという手練れです。

ただそれまでが、数々の飲み屋から出入り禁止をくらったという、そちらの手練れでもあります。

・あとの数名は、何回か入退院を繰り返し、その後は断酒に成功している、代表的なタイプの方々です。


断酒 酒 アルコール依存症
フリーフォトPAKUTASOより引用


断酒失敗者も多数

ぼくは、というと、実はあんまり書きたくないのですが、精神病院の閉鎖病棟を7回も入退院し、今回やっと断酒6ヵ月を過ぎようとしています。

何回断酒したか。

まあそのネタでブログを書き続けているのですが。

えらそうなことを書いてますが、実態はこんなものですいません。

そして、グレーゾーンな方たち。

文字通り、グレーゾーン、断酒会に来られてはいるものの、時々、あるいはまれに、あるいは「せっかく一年断酒したのに」ふらっとスリップ・再飲酒される方。

これはけっこう大勢、6~7名はいらっしゃいます。


そして、まだ酒を止めれない方たち。

これは、断酒会に来られ始めたばかりで、まだ完全断酒までは到達されてません。


でも、良いのです。

スリップしようが、グレーだろうがブラックだろうが、「断酒会に定期的に来て」、なんとか酒を止めよう、完全断酒まではできてなくても、なんとか減らそう、と、努力されてますから、良いのです。


問題は、これまでちゃんと出席し、断酒されていたのに、ある日突然、ぷっつりと「断酒会に来なくなった」人たちです。

この3年間で、数えてみると。

10名近くはいらっしゃいるんじゃないでしょうか。

もちろん、自立して断酒しつづけてる方が立派な方が1名、いらっしゃいます。

そしてご想像通り、崩れてしまった方、多数。

スリップ 再飲酒 酒
フリーフォトPAKUTASOより引用


9.断酒に失敗して孤独死

すこし前の話ですが、最悪のケースが起きました。

ある方が、自室で酒ビンに埋もれ孤独死で発見されました。

まさか、あんなに元気でピンピンしてて、それまでのカラオケなどのイベントでも率先して歌われるような50代の若い方だったのですが。


どのような経緯でそうなってしまったかというと。

断酒会で元気で頑張っておられた、O氏。

一年くらい、完全断酒をつづけ、週一の断酒会にもちゃんと出席されていました。

離婚はされていたが、元奥さんが応援されていました。

上司も理解のある方で、毎朝、上司が目の前でシアナマイドを飲む確認をされていました。

毎週木曜日、3時からの断酒会に出席できるよう、配慮されていました。


そしてA氏は、何か世間の役に立つことをしようと思い立ったのでしょう。

東北震災の被災地でボランティア活動を、と、現場で作業をするため、現地に向かったのです。

その、ボランティア精神が、結果としてマイナスとなったようです。


10.離婚して一人で頑張っていたが

現場では当然、肉体労働となる。

震災で腐乱死体が転がっているような悲惨な現場で、作業を熱心に行なったようです。


読者のみなさんも、東北の被災地の悲惨さはご存じでしょう。

が、報道で見るのと、実際の現場を生で見るのとでは、衝撃は100倍違うらしいのです。


東北大震災
日本経済新聞サイトより引用


肉体労働の作業が終わると、仲間は当然、ビールで一日の疲れをいやすこととなる。

O氏は頑張っていたが、肉体的な疲れと、生で現場を見た精神的なショックから、とうとうアルコールを飲んでしまいました。

現場から帰宅、そしてまた現場へと、数か月は頑張りました。

震災復興の為に頑張りました。

その後、帰還。


しかし、精神的なショックで現場の悲惨な光景がどうしても忘れられなく、診療科で診察をうけたそうです。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)です」と診断されたという。


その後、断酒会に顔をだすことはなくなりました。

断酒会長が電話をしても出ない、メールを打っても返事がない状態がつづく。

数ヶ月、断酒会のメンバーが心配しつづけたが、「あの人のことだから、独りで頑張っているのだろう」ということで、だんだんと忘れ去られてきた。


忘れた頃、O氏の家族から、1本の電話が鳴りました。

訃報の知らせでした


(つづく)

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次記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?断酒会に来なくなって飲酒した例(5)

前記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?一人で飲みすぎたら生活はどうなる?(3)


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〇アルコール離脱症状でマイナス思考が

 止まらない


気がつけば、朝だった。


朝といっても、夜明け前だろう。



朝 精神病院 閉鎖病棟
フリーフォト足成より引用


鉄格子の向こうの黒い曇りガラスが、ほんの少しだけ青くなり始めていた。



意識が戻ると、まだ離脱症状を感じた。


身体、手足の振るえ、脂汗などがまだ治まらない


が、それは昨日よりは軽くなったと思った。



しかし心の症状は、いっこうに治まっていなかった


ぼくは今、暗い保護室に、ひとりベッドに横たわっている。



誰もいない。


話しかける相手がいない。


辛さを打ち明ける相手も、いない。


恐怖感だけを感じる。



ぼくはなぜ、こんなところにいるのだろう。


いったいどこで、何を間違ったのだろう。


ここで何をしようとしているのだろう。



ただ、ここで生存している。


それに何の意味があるのだろう。


社会から隔離され、気の触れたやつらどもと共に生存している。



マイナス思考 アルコール離脱症状
フリーフォト写真ACより引用


何の意味があるだろう。


ぼくがここにいることに意味があるのだろうか。


ぼくがいても、いなくても、誰も気に留めないじゃないか。


いっそ、死んでしまったほうが楽なんじゃないか。



〇生きる意味がわからない


生きてたって、何もない


死んだって、何もない。


ならいっそのこと、死ねばいいのに。


そのほうが家族は苦しみから解き放たれるだろう。


死んでしまおう・・・・・・


しかし、愛娘ふたり残して父親がいなくなることは、親としてどうなのだろうか。


ダメだ。それはよくない。


しかし、生きるのもいやだ。


死にたい。


いやダメだ。


死にたい、ダメだ、死ぬ、ダメだ、死ぬ、ダメ・・・・・・



掛け布団の布を切り裂けば、首にかけるヒモはいくらでもできる。


ドアにはヒモをかける取っ手がある。


見まわりは誰もこない。


1時間もあれば十分だ。


僕の思考回路は、次々と負の考えを生み出し、その考えはまた次の負を生み出し、さらに悪い考えを生み出しつづける。



マイナス思考 アルコール離脱症状
フリーフォト写真ACより引用


負の連鎖が始まった。


それは留まることを知らず、僕は深々と落ちていった。



暗闇の底でぐるぐると考え続けた。


自分では脱出できない、泥沼にはまっていった。



やめろ。


どうかしている。よく考えろ。



そうだ東北の人たちのことを考えろ考えろ考えろ思い出せ思い出せ。


震災から生き残った親、子ども、生存者のことを考えろ。


2度と帰ってくることのない我が子、お父さんお母さん、クラスメイトたちの遺影を前に頭を下げている。


思い出せ考えろ考えろ。



おこがましい、と思った。


僕のことだ。


〇辛いと思っても生きるんだ


彼ら震災の犠牲者たちは、決して死にたかったわけではない。


生きていた。


これからも生きるつもりだった。


それなのに彼らは、一番大事な、愛する我が子、両親を一瞬にして奪い去られた


そしてそれは、二度と、帰ってこない。



ぼくを見ろ。


どうだ、ちゃんと生きているじゃないか。


まわりはだれも死んでないじゃないか。


そしてぼくは、あさはかにも自ら死ぬことを考えている。



死にたくもないのに、死んでしまった人たち。


失いたくないのに、一番大事なモノを失った人たち。


そして生きているのに、自ら死ぬことを考えている僕。



おこがましい。


ぼくはなんとおこがましい事を考えているのだ。



死ぬ必要もないのに、自ら死を選択する。


それは、愛する人を亡くした、悲しみに暮れる東北の人たちを侮辱している、なんと失礼なことだろう。


ぼくにそんな権利は、ない。



死ぬことを考えることはやめろやめろきっぱり止めろ。


そんなことを考えるべきではない考えるな考えるな生きることだけそれだけを考えろ考えろ考えろ。



すでに廊下の曇りガラスは明るく、黄色い光をはなっていた。



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