うつ病でアルコール依存症:人生終わった男の闘病記・体験談

閉鎖病棟の体験談から、アルコール依存症・うつ病の闘病記。
2児の父が急にうつ病で倒れた。酔いにまかせて仕事にいくも今度はアルコール依存症だと。
家族から精神病院に何回も入院させられ、断酒に挑戦するが失敗。抗うつ剤、睡眠薬はいまだかかせず・・・・・・

うつ病、アルコール依存症にならないよう、みなさんのお役にたてればと思います。

タグ:離婚

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前回まで、アルコールの

3.~5.身体に関して

6.~8.生活に関して


影響について、おおざっぱに述べました。

で、「断酒会へ通うべきか」の本題へ戻ります。

アルコール依存症の小さな断酒会でも、断酒成功者は多数


ぼくが通ってる断酒会は、ふたば会ではなく、AAでもなく、地方ローカルな断酒会です。

ちいさな断酒会で、平均するとだいたい15名くらいが出席されてます。

歌を歌うわけでなく、本を読むこともなく、しかも雑談が多い、というワリとくだけた断酒会です。
断酒会
フリー素材いらすとやより引用

そのうち、完全断酒の方(期間的に、すくなくとも3年以上、ということにします)

完全断酒の方は、5、6名ほどいらっしゃいます。

20年選手が1名。

もうたまにしか来ないです。

10年が2名

断酒をはじめて一回も失敗することなく、入院することもなく10年目に突入された方あり。

しかも、酒とタバコを同時に止めたという手練れです。

ただそれまでが、数々の飲み屋から出入り禁止をくらったという、そちらの手練れでもあります。

・あとの数名は、何回か入退院を繰り返し、その後は断酒に成功している、代表的なタイプの方々です。


断酒 酒 アルコール依存症
フリーフォトPAKUTASOより引用


断酒失敗者も多数

ぼくは、というと、実はあんまり書きたくないのですが、精神病院の閉鎖病棟を7回も入退院し、今回やっと断酒6ヵ月を過ぎようとしています。

何回断酒したか。

まあそのネタでブログを書き続けているのですが。

えらそうなことを書いてますが、実態はこんなものですいません。

そして、グレーゾーンな方たち。

文字通り、グレーゾーン、断酒会に来られてはいるものの、時々、あるいはまれに、あるいは「せっかく一年断酒したのに」ふらっとスリップ・再飲酒される方。

これはけっこう大勢、6~7名はいらっしゃいます。


そして、まだ酒を止めれない方たち。

これは、断酒会に来られ始めたばかりで、まだ完全断酒までは到達されてません。


でも、良いのです。

スリップしようが、グレーだろうがブラックだろうが、「断酒会に定期的に来て」、なんとか酒を止めよう、完全断酒まではできてなくても、なんとか減らそう、と、努力されてますから、良いのです。


問題は、これまでちゃんと出席し、断酒されていたのに、ある日突然、ぷっつりと「断酒会に来なくなった」人たちです。

この3年間で、数えてみると。

10名近くはいらっしゃいるんじゃないでしょうか。

もちろん、自立して断酒しつづけてる方が立派な方が1名、いらっしゃいます。

そしてご想像通り、崩れてしまった方、多数。

スリップ 再飲酒 酒
フリーフォトPAKUTASOより引用


9.断酒に失敗して孤独死

すこし前の話ですが、最悪のケースが起きました。

ある方が、自室で酒ビンに埋もれ孤独死で発見されました。

まさか、あんなに元気でピンピンしてて、それまでのカラオケなどのイベントでも率先して歌われるような50代の若い方だったのですが。


どのような経緯でそうなってしまったかというと。

断酒会で元気で頑張っておられた、O氏。

一年くらい、完全断酒をつづけ、週一の断酒会にもちゃんと出席されていました。

離婚はされていたが、元奥さんが応援されていました。

上司も理解のある方で、毎朝、上司が目の前でシアナマイドを飲む確認をされていました。

毎週木曜日、3時からの断酒会に出席できるよう、配慮されていました。


そしてA氏は、何か世間の役に立つことをしようと思い立ったのでしょう。

東北震災の被災地でボランティア活動を、と、現場で作業をするため、現地に向かったのです。

その、ボランティア精神が、結果としてマイナスとなったようです。


10.離婚して一人で頑張っていたが

現場では当然、肉体労働となる。

震災で腐乱死体が転がっているような悲惨な現場で、作業を熱心に行なったようです。


読者のみなさんも、東北の被災地の悲惨さはご存じでしょう。

が、報道で見るのと、実際の現場を生で見るのとでは、衝撃は100倍違うらしいのです。


東北大震災
日本経済新聞サイトより引用


肉体労働の作業が終わると、仲間は当然、ビールで一日の疲れをいやすこととなる。

O氏は頑張っていたが、肉体的な疲れと、生で現場を見た精神的なショックから、とうとうアルコールを飲んでしまいました。

現場から帰宅、そしてまた現場へと、数か月は頑張りました。

震災復興の為に頑張りました。

その後、帰還。


しかし、精神的なショックで現場の悲惨な光景がどうしても忘れられなく、診療科で診察をうけたそうです。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)です」と診断されたという。


その後、断酒会に顔をだすことはなくなりました。

断酒会長が電話をしても出ない、メールを打っても返事がない状態がつづく。

数ヶ月、断酒会のメンバーが心配しつづけたが、「あの人のことだから、独りで頑張っているのだろう」ということで、だんだんと忘れ去られてきた。


忘れた頃、O氏の家族から、1本の電話が鳴りました。

訃報の知らせでした


(つづく)

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次記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?断酒会に来なくなって飲酒した例(5)

前記事どうぞ→アルコール依存症は断酒会に行くべきか?一人で飲みすぎたら生活はどうなる?(3)


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※断酒174日目

〇いつも行く飲み屋の大将


前述した「パンチ」という鉄板焼き屋

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団地の途中にあり、現場で仕事している人たちのたまり場になっていた。

作業着の人たちばかり集まるので、スーツで登場するぼくが珍しいのか、みな歓迎してくれた。

ふくちゃ~ん、いらっしゃい!

大将はいつも気にかけてくれた。


大将は現場の仕事が終わると、家兼店舗に帰って、店をあける。

仕事のせいか、背は小柄だったが身体は筋肉でまるまるとして腕っぷしは強く、腕相撲は誰にも負けない、というタイプだった。

筋肉 腕相撲 ケンカ
フリーフォトPAKUTASOより引用


若かりし頃は、キレてケンカになったら手が付けれなかったという。

翌朝仕事で早いのに、皆遅くまで飲んだくれて、皆が帰るまで決して店は締めなかった。

主婦の奥さんも、店を手伝っていた。


その奥さんの唯一の悩みが、大将が飲酒運転をすることだった。

何回言い聞かせても、治らない。

飲酒運転 酒気帯び運転 事故
フリーフォト写真ACより引用


飲み仲間と街中へ出かけると、必ず酒気帯び運転で帰ってくる。

ある日、酒気帯び運転で、自分の軽ワゴンというか、ワンボックスが交差点で曲がり切れずに横転したという。

人身事故じゃなくてよかった。

が、そのことで大将と奥さんは揉めに揉めて、離婚沙汰になったという。

そりゃ、奥さんの方が正しい。


ある日、仕事帰りにパンチに寄って、ほんの1、2杯だけ飲んで、大将と小話をして帰った。

話は、明日行われる町内祭りの事だった。

神輿がどうのこうのと、大した話題ではなく、その晩は早めに帰った。


次の日、町内祭りである。

町内の若い衆は、神輿を担ぐために集まった。

その中で、「パンチ仲間」が近づいてきて、ボソッと言った。

パンチの大将、亡くなったの知っとる?

え?

いったい何のこと?

昨日話をしたばかりよ。

あのね、昨日の夜国道でバイクで2人乗りして、前の車に突っ込んだらしいよ

ええ?

〇酒気帯び運転で事故死


詳しく話を聞くと。

広島の近郊にドン・キホーテがある。

そこは片側2車線だが、たびたび右折してドン・キホーテに入ろうとする車が止まる。

大将は、バイクで左車線から遅い車を追い抜こうと右車線に変更したとたん、ドン・キホーテ待ちの車に突っ込んだという。


バイク 酒気帯び運転 飲酒運転
フリーフォト足成より引用


即死だったらしい。

即死だから、追い抜く際に100数十キロを出していたのだろう。

現場はもう、どちらが運転していたのかわからない状態だったという。


その日の神輿は、「弔い合戦じゃ!」ということになり、一生懸命かついだ。


次の日が葬式だった。

会場の右側が奥さんの親族、左側が大将の親族だった。

普通は一番身近な人が一番前の席に座るのだが。

なぜか左側の一番前の席2列がパンチの常連で埋まっていた

ぼくもそれにならって、前から2列目の常連客の中に座った。


大将には中学生の息子、娘さん2人のお子さんがいた。

その中学生の学年全員が葬式に参列した。

2学年全員が焼香するもんだから、会場の一番前から一番後ろ、そして会場の外まで列ができていた。

普通、焼香は30分くらいで終わるものだが、1時間たっても2時間たっても中学生の列は途絶えない。

3時間くらい待って、やっと終わった

長い葬式だった。


最期に大将にあいさつしようと棺をあけた。

顔が倍くらいに膨れ上がり、別人だった。

そうとう酷く打ったようだ。


結局、やめろと言われていた飲酒運転のせいで2人の思春期の父無し子ができてしまった。

あまりにもむごい。

残された奥さん、子どもたちともに無念だったに違いない。

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つづき、アルコール依存症者の家族の悩みについて。



6.アルコール依存症者の家族の悩み


夫や妻、父母がもしかしたらアルコール依存症なのでは?

と疑いをもったとしても・・・・・・

病院、しかも精神科へ連れて行こうにも本人は当然嫌がり、または泥酔していて激怒したりするため行けない、と悩んでおられる家族の方が多いでしょう。

アルコール依存症は俗に「否認の病気」とも言われ、本人が病気であることを認めようとしません。

なぜか認めないかというと、酒を飲むのを止められるからです。


ぼくの場合。

まず、持病の「うつ病」があり、そのうつ症状の辛さを酒を飲むことによってまぎらわせていました。

「うつ」というのは、何もしていないのに恐怖感や不安感を常に感じている状態。

本人は本当につらいのです。

飲んで泥酔することで、その辛さをまぎらわせていました。

辛さを誤魔化していました。

そして最終的には連続飲酒発作と呼ばれる、「朝起きてから寝るまで酒を飲み続ける」 という状態になりました。

寝ている最中にも、目が覚めたらすぐに飲めるようにと、枕元にコップ一杯の焼酎(アルコール度数25度のストレート)を常に置いておくようになりました。

アル中の症状である、酒が切れると手足が震えだし、立つことすらままならないざまになりました。


手の震え アルコール離脱症状
フリーフォト足成より引用


これはおかしい、異常だ、と看護師であり妻である彼女は考えたのでしょう。

当時うつ病の治療のため通っていたクリニックに妻と二人で受診しました。


そして主治医にこのように断言されます。

「あなたはアルコール依存症です。

このまま酒を飲み続けると、家庭崩壊、離婚、孤独死が待っています。

それを防ぐには、酒を飲むのを止めなければいけません。


さあ、家族をとりますか、それとも酒をとりますか?」 


妻の手前、なんとか声をふりしぼって

家族を選びます

と答えました。


そこで


と答えたら、一発離婚だったと思います。

長女が7歳、次女が3歳でした。

もう少しで父なし娘が2人できあがる、危ないところでした。


同じ質問に、本当に「酒。」と答えた方が断酒会におられました。

やはり離婚になり、バツイチとなりました。


離婚 アルコール依存症
フリーフォトPAKUTASOより引用

それほど酒の魔力は強いのです。


このように、妻の目の前で医師に完全に「アルコール依存症」と断言されたため、ぼくはそれを認めざるをえませんでした。

家族にアルコール依存症と疑わしき人がおられるならば、なんとかして精神科あるいはクリニックに同行しましょう。


※注意

内科ではダメです。

内科は、肝臓やすい臓が痛んでる場合は入院させ、肝機能やすい臓を健康な状態にして退院させてくれます。

これは要するに

「酒で痛んだ肝臓やすい臓を治療によって健康な状態にもどし、また酒が飲める身体にしてくれる」

というアルコール依存症者にとってありがたい施設なのです。

アルコール依存症という精神病にはまったく逆効果です。
 


7.アルコールの害、酒害


アルコール依存症は、ニコチン中毒や薬物中毒と同じ薬物依存の一種です。

薬物中毒は法律違反なので論外。

ニコチン中毒は、ベランダや喫煙所でタバコを吸うかぎりは人に迷惑をかけません。


ですが、アルコール依存症は他人に迷惑をかけます。

・家族がDV(ドメスティック・バイオレンス:家庭内暴力)や言葉の暴力に悩まされていたり。


DV ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力
フリーフォトPAKUTASOより引用


酒気帯び運転をしたり。


・常に飲んでいるため仕事ができない、朝飲んで職場に行き、最期はクビになる


・自営業の方で実際にあった話ですが、お客様からの注文の電話を取ってメモしてはいるのですが、文字がまったく読めない、商売にならない

これらすべては本人はどう思ってようが、家族のつきることのない悩みとなります。


また、本人の身体のほうは

・肝臓やすい臓の機能悪化 → 肝硬変、すい炎 → 肝臓がん、すい臓がん


逆流性食道炎、胃腸炎


・酒呑みはろくに食べずに飲み続けるため、栄養失調となりすべての内臓機能の悪化


内臓 悪化 酒
フリーフォト写真ACより引用


・運動をまったくせずに飲み続けるため、極度に筋力が衰える


・また、多くのアルコール依存症者が大腿骨頭壊死に。
(太ももの付け根の骨が壊死して、歩けなくなる)

脳が前頭葉から委縮しアルコール性認知症、ウェルニッケ・コルサコフ脳症
(ふつうの人は頭蓋骨のなかに脳ミソがいっぱい詰まっていますが、アル中の場合
脳細胞がどんどん死んで脳が萎縮(いしゅく)し、しまいにはスカスカになります。
最後は物忘れどころか、日本語すらしゃべれなくなった患者を精神病院で見ました。)
(また、ふとした瞬間に気絶して、もどらない)

・歯を磨かずに寝るため、歯がボロボロに。
40代で部分入れ歯の患者を何人も見ました。)

末梢神経麻痺
(手や足がしびれたようになり、まともに動かなくなる)


ぱっと思いつくままに書いただけでもこれだけあります。

全身いたるところに合併症が現われます。


DVは論外ですね、離婚対象です。


ぼくの場合「静かなる依存症者」と言われるタイプで、飲んだ逆におとなしくなり、ひとりでパソコンなどをつついて遊んでいる場合が多いですが。

やはり妻と口論となり、やってしまうのが「モノに当たる行為」です。

酔ってケンカになり、イラ立ち、しかし酔ってはいても「男が女に手をあげてはならない」という理性が残っているのでしょう、なので怒りの矛先はモノに。

いろんなモノにあたってました。



8.手は上げないが、モノに当たる



モノに当たった、その①

新築で建てたばっかりの家に引っ越した時。

飲んで口論となり激昴して壁を殴ってしまいました。

ぱっかりと穴が空きました。


これは次の日、妻がポスターなどで隠してはいましたが。
 
とても悲しい思いをしながら穴を隠したのは、想像できます。


現在、家には3つの穴が隠されています。


モノに当たった、その②

まだガラケーだった時代。

飲んで口論となり、激昴してケータイを真っ二つに折ってしまいました。

酔いが覚めて大変後悔しました。

まだクラウドサービスなど無い時代でしたので、電話帳、メアドがすべて消滅。

ほうぼうの知人に聞いて、電話番号、メアドの再入力を数百件。
 
自業自得でした。


モノに当たった、その③

妻が運転する車でまた口論となり激昴して、助手席から右ストレートをフロントガラスへ。

パリンッといってひび割れてしまいました。

後日修理代の見積もりをもらった際、妻のほうが激昴しておりました。

パンチ一発、10万円


とにかくアル中は、居るだけで家族にとっては大変迷惑な存在です。

大変な毎日です。


平和な家庭がほしい

早く平和な日常を送りたい


間違いなくそう思われています。


次回はアルコール依存症の症状について。

はたから見た目でも分かる症状があります。



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ぼくはまだ精神病院の4畳半あまりの狭い保護室で、世間から完全に隔離されている。


まだ「半開放になっていない」ため、保護室に閉じ込められたままである。

食事時以外は牢獄から出ることはできない。


半開放になれば、デイルームで過ごすことができるようになり、いくらか気がまぎれるのだが。

他の患者とおしゃべりして、あんがい楽しく過ごせるかもしれない。


まだ完全隔離なので、食事が終わったらすぐ歯磨きだ。

そのあとなので、テレビは食後の10分くらいしか観ることができない。


テレビ 精神病院
フリーフォト写真ACより引用


本棚に古い少年ジャンプやマガジンなどのマンガがあり、自室に持ってこれるが、まだアルコール離脱書状でボーっとしており、読んでも読んでもまったく頭に入らない。


もちろん、お菓子もなければ冷蔵庫もない。


〇再飲酒・スリップの原因


できることといえば・・・・・・


離脱症状に苦しむ中、脳内で飲酒に至ったまでの過去の記憶を引きずり出し、これでもかと繰り返しはんすうするのである。


断酒失敗して再飲酒してからのことを、ずっと考え続けるのである。

あの時、あの一杯さえ我慢しておけばこんなことにならなかったのに。


朝から飲むことさえやめておけば、こんな辛い目にあわずにすんだのに。


嫁さんに悪いことをした。

愛娘に悪いことをした・・・・・・


考える 保護室
フリーフォトPAKUTASOより引用

〇離婚・退職を考える


そして今後おきるであろう物事を最悪のケースでシミュレーションしていく。


片方に嫁さんの名前が記入された緑色の離婚届が明日にでも送られてくるかもしれない。


解雇するかわりに、退職願いを提出するよう会社がすすめてくるかもしれない。



もしかしたら愛娘たちとは離ればなれになり、ひとり部屋でやけ酒をあおっているのだろうか。

もしかしたら酔ったまま娘に逢いに行くかもしれない。

そしてそのまま警察に連行されるかもしれない。


金はいつまでもつのだろうか。

貯金はいくらあっただろうか。

独りで飲んで飲んで、あげくの果てに孤独死するのではないだろうか。

時計がないので、いくら考えても時間がたたないように思えた。



こんなシミュレーションを、まる三日、72時間にわたり、えんえんと繰り返すのである。




看護師が来て、

「次の点滴ですよ、横になってください」

と言った。


点滴 精神病院 保護室
フリーフォトPAKUTASOより引用


言われるがままに横になり、点滴を打たれた。

点滴は主にブドウ糖になにかの薬がまじっているもので、アルコールの解毒のために行う。

午前、午後と2回も行われた。

もううんざりする。

また点滴のスピードを思いっきり早めた


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ぼくは保護室の中で、ずっと考え事をしていた。

医療保護入院とわかったところで、もうどうすることもできない。

診断はもう変えれない。

退院はすくなくとも3ヵ月先だ。


時間がたつにつれ、酔いが覚めていった。

酔いが醒めていくのをゆっくりと感じ始めていた。


そして、意識がだんだんはっきりとしてくる。


麻痺していた感覚が正気にもどってきつつある。



すると、心の正気の部分が、作動しはじめる。



以前、退院してから僕は、皆に吹聴してまわった。


次、酒を飲んだら、辞表を出す。


 離婚届けも出す。


 もう、こんりんざい酒は飲まん


皆に約束した。

当然、そのつもりであった。

酒は2度とのまない、そういうつもりであった。

〇連続飲酒のアルコール離脱症状、

 まずうつ状態が始まる


ゆっくりと醒めつつある僕の意識が、そのことを思いだしはじめた。


しっかりと認識しはじめた。



ところが、酒を飲んでしまった。

最初は少しだった。

しかし、あっというまに量が増え、連続飲酒(朝から晩まで飲むこと)になった。


酒 アルコール連続飲酒
フリーフォト足成より引用


毎日、泥酔するまで飲んだのである。

泥酔して記憶がなくなるまでである。

記憶がなくなって失神し、失禁するまでである。


会社を辞める。


離婚して嫁、愛娘と、離ればなれになる。



正常に動作し始めた脳が、現実を不安に、不安を恐怖感に変換しはじめる。


アルコール離脱症状がでてきたのがわかった。

これはアルコール性うつ症状だ。


すべての考えが、マイナス思考となる。

なにか気分を変えることができればよいが、なにも気分転換できるものがない。

デイルームにマンガがあったが、持ち込めばよかった。


保護室は牢獄のようなものである。


保護室 牢獄
フリーフォト足成より引用


ふとんの上に座って、考えることしかできない。

寝ころんでも、睡眠薬がないのでまったく眠れない。

部屋から出してほしい、しかし鍵がかけられたままだ。

〇うつ症状の恐怖感


恐怖感はずっと続く。

やがて恐怖感が、心のすみのすみまで、占領した。


そして恐怖感にくわえ、さらに、後悔、自責、嫌悪、忌、ありとあらゆる負の感情が次々と心の中からあふれだす。

それらは神経と血管とリンパ節と粘膜とありとあらゆる細胞と水分を経由し体の隅から隅まで伝わり首筋クチビル毛穴ツメの先まで感染した。

そして体中の細胞がいっせいに機能を止めた。



次の瞬間。すべての細胞が死滅へと歩きはじめた。



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〇精神科の閉鎖病棟にいると

 今日が何日かわからない


入院して、いったい何日経ったのだろうか。

今日は何月何日なのだろうか。


永い事、閉鎖病棟に入院していると、日付の感覚がなくなってくる。


曜日の感覚もなくなってくる。


だから、デイルームに大きなカレンダーが貼ってあるのだが、それを見ても「今日が何日、何曜日」なのか分からない



カレンダー 精神科閉鎖病棟
フリーフォト足成より引用


なので、毎朝9時に行われる朝会で、看護師さんが

「みなさん、おはようございます。

 今日は〇月〇日〇曜日です

と、必ず日付を言ってくれる。



入院して何日も経った。


僕は家族が恋しくなっていた。

声がききたくなっていた。



・・・・・・電話をするべきか。しないほうがよいか。



前回、荷物を持ってきた嫁さんの態度からすれば、離婚話になる可能性が高い。


それは避けたい。



しかし、閉鎖病棟で外に出ることも許されず。


前回入院したときのように、外泊もできっこないだろう。


離婚寸前なのだから。


〇娘の声が聞きたい。

 今どき公衆電話とテレフォンカードで


一言だけでも良い。


娘たちの声が聞きたい


少しだけ電話をしてみたい・・・・・・



電話をすることにした。


閉鎖病棟内では携帯電話を持つことは許されていない。


外部への連絡手段は、ちまたではもう絶滅寸前の「緑色の公衆電話」しかない。



公衆電話 テレフォンカード 精神科閉鎖病棟
フリーフォト足成より引用


しかも「テレフォン・カード」を購入しなければならない。



テレフォン・カードか・・・・・・



昨今、ツイッターやらフェイスブックやらで全世界とリアルタイムで交信できる世の中だ。

(当時、ラインはまだなかった)

そこにきて「テレフォン・カード」である。


それはまだ、存在していたのである。



前回の入院時に使っていた、残高が残っているテレフォン・カード。


それが手荷物の中に入れてあった。



まさか、また使うことになるとは。


緑色の公衆電話の受話器を左手に取り、その貴重な「テレフォン・カード」を銀色のカード投入口につっ込んだ。


0、8、2、8、4・・・・・・家の電話のダイヤル番号を押した。



義母が出た。


冷たい声で、嫁に代わると、言った。


嫁さんが、出た。


なに


それは僕のはらわたに突き刺さるような、冷めた、凍るような声色だった。


「別に。声が聞きたかったから」



そう


さらに、心を深ぶかと裂き切るような声が、胸を貫いた。


僕の心は張り叫び、もう声を聞こうとは思わなかった。


ガチャリと受話器を置いた。



・・・・・・もう、こんりんざい電話をするまい。



そう思った。


●娘たちに手紙を書こう


でも、僕は今後、どうなるか分からない。


もしかしたら、死んでしまうかもしれない。


生きている保障がない。


娘たちに、何か「父親が生きていた」「父親が存在していた」証拠、あるいは遺書的なものを残したい。



・・・・・・そうだ、手紙を書こう。


画像20130826手紙 足成
フリーフォト足成より引用


僕はロッカーから、鉛筆と消しゴムと便箋を取り出した。


そして、「愛する娘たちへ。大きくなったら読んでください」と見出しを書いた。


それが、この「アルコール依存症 精神病院閉鎖病棟日記」の元になった手紙である。



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朝、検温のため起こされた。

時間はわからないが、たぶん7時より前だ。

体温計 検温
フリー素材集PAKUTASOより引用

ニコチン切れのため、頭がぼうっとしている。


しばらくしたら朝食に呼ばれ、食べれる分だけ食べた。
ぼくはご飯だったが、パンを焼いている人がいる。
聞いてみたら、ご飯かパンか選べるとのことだった。
パンにすると牛乳がつくので、たんぱく質を補うため明日からパン食にしてもらった。

留置所のような生活からの釈放された


「今日から半解放ですので、10時からはデイルームで自由にしても良いですよ。」

・・・・・・やった!


牢獄のような保護室の中にいると、“考える”事しかできない。

閉鎖病棟、牢獄、そして離婚への不安

また胸の中のドス黒い負の感情が暴走し、死ぬ、生きる、死ぬ、生きる、怖い怖い怖い怖いを繰り返し始めるのが恐ろしい。

マイナス思考 負の感情
フリーフォト足成より引用

保護室から半開放になった。
タバコはあいかわらず4本のままだが、朝10時から夕方5時までの日中は、デイルームでテレビを見たり読書をすることが出来るらしい。
他の半開放の患者とお喋りすることもできる。

いくらか気を紛らわすことが出来るかもしれない。

これで留置所のような生活から釈放された


昨日、再会した戦友と会話できると思ったが、彼らはデイルームに居なかった。

彼らはまだ“半解放”ではないらしい。

保護室で地獄の苦しみを味わっているのか。


デイルームに居たのは、それこそまともな会話すら出来ないような、薬物中毒統合失調症かの精神疾患患者が数名。

これでは喋って気を紛らわすことはできない。


テレビのニュースを観て情勢を知っておこう思ったが、アナウンサーの声が頭の中をすりぬけ、ほとんど頭に入らない。
マンガを読んだりしてみたが、ただ絵を追うだけで、読んだ字はまったく頭に入ってこなかった。


アルコール離脱症状で震えや発汗、幻覚

まだ不安感が強くでる。
まだ手も震え、汗も出る。
アルコール離脱症状 震え 震戦
フリー素材集いらすとやより引用

アルコール離脱症状がなかなか治まらず、苦しい。

何にも集中できないせいか、時間が経たない。

食後の一服のひとときだけは、牢獄内の人が出てくるので、戦友と話が出来た。

ワタナベくん(仮名)は、点滴をしていた。

・・・・・・僕の点滴は昨日3回、一日で終わったのだが。

彼は僕より早く入院したハズなのに、まだ点滴をずっと続けているのか。

「ワタナベくん、調子はどう?」

聞いてみた。


彼は、うつろな目をして答えた。

「まだ、ぼうっとしてます。なんか幻覚とかが見えるんです。」

幻覚
ガラパイアHPより引用

・・・・・・幻覚か・・・・・・それは重傷だな。


「部屋の、壁の木の模様が“魚”になって泳ぎだしたり木の木目が“虫”になって動いて行ったり

・・・・・・うわ。幻覚って本当にあるんだ。


「ヤナイさん(仮名)は、調子どうですか?」

「もう、気が狂いそうなんじゃけえ。かれこれ2週間も閉じ込められとるんよ。あれ?3週間だったかな

・・・・・・げ、3週間も。というか日付の感覚がわからなくなってる。


嫌だ。

こんなの絶対に嫌だ。

こんな所に数週間も居たら、それこそ発狂する!

「もう、どこでもいいから、普通の病棟に行かせてください

看護師に、強くお願いした。


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次記事→やっと留置所のような環境から釈放、閉鎖病棟へ 精神病院 体験談1(15)

前記事→


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妻が来た

午前中、看護師から「家族の方が来られているので、出てください」といわれ、牢獄からデイ・ルームに向かった。

そこには、懐かしそうな顔で優しく心配そうに僕を見つめる、愛しの妻が立っていた・・・・・・ということはまったくなく。

黒い大きなバックを持ってきた彼女は、恨み、つらみ、憎しみ、憎悪、嫌悪、とにかく、ありとあらゆる負の念をもって、僕を睨みつけていた。

離婚したい妻
フリーフォト写真ACより引用

とりあえず妻は手慣れた手つきで“入院セット”が入っている黒いバッグを僕に手渡した。

入退院を繰り返した僕の妻は、何も言わなくても手早く入院セットを準備するようになっていた。

3日分くらいのTシャツ、短パン、下着、靴下、メガネ、コンタクト洗浄液、シャンプー、ボディソープ・・・・・・タバコ。


妻は離婚したいので準備中だと・・・・・・家庭を壊してしまった

僕が先に切り出した。


どうする?


離婚したい。考え中、準備中。


わかった


ひとこと言うと、嫁さんはすぐに帰ってしまった。

」、などと表現されるものは、とうの昔に消え去っていた。

とうとうきたか。

結婚10年目。
妻は離婚したいので準備中だと。


離婚

今まで築き上げてきた、すべてのモノを失う。

物質的なモノなら、いくら失っても良い。

愛娘たちの親権は当然、アルコール依存症で休職中の旦那ではなく、しっかりと稼ぐ看護師の母親へ、と家裁は判決するだろう。


暖かい家庭。

愛しい娘たち。

すべて壊してしまった。

僕が、壊してしまった。

僕は、胸の奥に、ドス黒い嫌な負の感情が噴出していくのを感じた。

マイナス思考 負の感情
フリーフォト足成より引用

ドス黒い負の感情が、胸から喉を伝わって嗚咽しそうになった。

とてもじゃないが、耐えられない。


感情をコントロールできない

僕は身体中を覆い尽くさんばかりの負の感情に耐えきれなくなり、看護師に事情を言って、精神安定剤をもらった。

また、点滴だそうだ。

僕は牢獄に戻る前、デイルームの真ん中の本棚に目をやった。


「少年ジャンプ」「少年サンデー」「少年マガジン」

懐かしい漫画雑誌が並べてあった。

どれも、背表紙が白っ茶けていて、どうにか「ジャンプ」の文字が読み取れる。

表紙が破れているものもたくさんある。

マンガ雑誌 ジャンプ マガジン
フリーフォト写真ACより引用

僕は試しに2、3冊の少年ジャンプを手に取った。

NARUTOを読んでみた。

どれも、読んだことがある。

表紙を見直すと、「2007年」「2008年」「2010年」発行の雑誌だった。

これまで、何百、何千人もの精神疾患患者たちが、この本を手にしたのだろう。

だから背表紙が白っ茶けていて、表紙が破れているのだろう。

ジャンプを3冊ほど手に取った僕は、牢獄に戻された。

ページを開いて読んでみたが、頭に入らないのでヤメた。


独りになると、また、負の感情が体中を渦巻き始めた

死のう、いや頑張って生きよう、いや死ぬいや生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる

怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い


発狂する!


どこでもいいから他の病棟に移してくれ。とにかく、この牢獄から出してくれ

僕は看護師を呼んで、そう頼んだ。


そうですね、じゃあ明日から、半解放にできるよう、頼んでみますよ

・・・・・・半解放。なんだそれは?


夜、睡眠薬をもらい、やっと眠りについた。


眠るのがいい。


なにも考えずに・・・・・・



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うつ病、アルコール依存症の闘病記


こんにちは、ふく うつおと申します。

ぼくは「うつ病」と「アルコール依存症」の精神疾患があります。
25歳ごろ、仕事が激務で重い「うつ病」を患い、さらに離婚してうつが酷くなったのですが。
それは3年で完治しました。


39歳になって、また仕事が激しくなり、うつ病が再発。
うつの辛さを一日中酒飲んで紛らわしていたら、今度は「アルコール依存症」と診断されました。
アルコール依存症は、一滴も酒を飲んではなりません。
酒を飲むために仕事をしてたようなものなのに、酒を取られると生きがいをなくしてしまいました。
うつで辛く、酒を飲めずに辛い
酒 アルコール依存症
フリーフォト足成より引用

精神病院に入院

そして度々スリップ(再飲酒)をしてしまい、精神病院の閉鎖病棟(鍵かけられて外に出られない)に幾度も入院しました。
鉄格子の牢屋のようなところに閉じ込められました。
そのうちうつ病がひどくなり、こんどは躁うつ病(双極性障害)と診断されました。

精神障害者手帳2級をもっています。

立派な?障害者です。

読者の皆様には、そんな目にあってほしくないのです
画像20131230うつ 足成
フリーフォト足成より引用

自分が体験したうつ病のつらさ、またその改善のしかた。
アルコール依存症者が、いかに酒を飲まずにすむか。
何回も入院した悲惨な精神病院の体験談をつづっていきます。
決して、ぼくのような悲惨な目にあってほしくないのです。

ぜひ、記事を参考にして、健康で幸せな人生を送ってください

よろしくお願いします。

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